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天佑なり(下)

天佑なり(下)

幸田真音

角川書店

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作品紹介、あらすじ

前例にとらわれない柔軟な発想と、現場経験に根ざした解決能力を身につけ、銀行家として踏み出した高橋是清。日露戦争の戦費調達という使命を帯び、ロンドンで極東の新興国・日本をアピール、人脈を駆使して日本国債の売り出しを成功させる。以後、昭和金融恐慌の鎮静化、世界恐慌後のデフレ脱却など、危機のたび手腕を振るった不世出の財政家は、なぜ二・二六事件の凶弾に倒れなくてはならなかったのか?

感想やレビュー

明治時代に日銀副総裁に就任し、1904年に勃発した日露戦争の戦費調達に成功し、その功績が認められ、1911年に日銀総裁に就任。その2年後の1913年 第一次山本権兵衛内閣で大蔵大臣に初就任。1921年11月には前首相 原敬の暗殺に伴い、ついに総理大臣に就任。(大蔵大臣兼任) ただ、政治家としての党内争いなどは得意ではなく、政策の意見の違いにより対立を起こしてしまい、閣内をまとめきれず、7ヵ月ほどで総辞職に追い込まれる。その後は国家の危機のたびに大蔵大臣に就任を要請され、結果的に7度も蔵相に就くことになった。 【高橋是清 大蔵大臣歴】 1913年 第一次山本権兵衛内閣 1918年 原敬内閣 1921年 高橋是清内閣(蔵相兼任) 1927年 田中義一内閣 1929年 犬養毅内閣 1931年 斎藤実内閣 1933年 岡田啓介内閣(発足当初は藤井真信が就任していたが任期中に病死し、是清が代わりに就任) 1936年(昭和11)の予算編成時、国民生活が最重要と説き、軍事費を軍事費を削減したため、1936年2月26日に発生した、「二・二六事件」によって凶弾に倒れ、81歳で亡くなってしまう。

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